もう先月のことになってしまうんですが10月27日千秋楽の前日の回を観てきました。
台本をやっと読み終わったので、感想を。
千秋楽に近い回というのを今回初めて(久しぶりに)観て、まずやっぱり最終日の近くだなぁというお客さんの反応(感動)っぷりがすごかった。ファン度が濃いというのかな、熱気が高かったと思う。
そして劇が始まる前に芸術劇場の前で突発のダンスイベントがあって(娘に聞いたらそういう集団がいるそうですね。すごい羨ましがられた。そうか貴重な体験だったのか)なんだなんだと思っている間に終わってしまって、皆普通にどこかへ帰っていってしまって面白かった。夕方だったので、暗い広場で整然と踊って去ってゆく違和感が楽しかったです。
で、エッグの感想。
台本を読まずに、精神的にへろへろになったまま、舞台の舞の字も忘れた私をあっという間にその世界に引き込んでくれました。あー来たなぁとなんとも間の抜けた事を思いながら観始めると、どんどん時間と時代が変わってゆく独特な世界に頭をフル回転させました。深田さん美しいなぁと思ったり服綺麗だなぁと思ったりしてる間に、歌が始まり、ミュージカルなのか?と思ったり。歌の間のとり方とか、埋め込み方が今までの流れを変えていて、その変化を感じたりした。そのうち、野田独特の時間や言葉の渡り方繋ぎ方がみえてきて、それでも随分簡素にまとめられていると感じたのは、私が大人になったからか、ついてゆけないのからか、野田さんがその境地に達したのかか、言葉遊び以上のなにか、以前なら生々しい時間のうねりを感じたのですが、それより上の何か時代というのは簡単ですが再生と繋ぎ合わせの手触りを感じた。俯瞰するという言葉ではないな、とうとうと流れる生きてる時間を目でみてる感じがした。
ただちょっと途中たるいというか、あまりに物事が静かに(今までの作品と比べると)流れすぎていて、あれっと思った、隣の人は寝てた(汗)。席が後ろのほうのせいもあったけど、物語が遠い、と感じ始めた頃、入れ子になっている物語の構造の意味というか感触を感じたとたん、私の中で「1Q84」と繋がった。私にとって「1Q84」はありえない過去に設定することによって、描き出される虚構の中の現実の実態の小説だと思っていて、それとこの「エッグ」は重なった。
寺山修二のありえない原稿の世界の中に飛び込むことによって、東京と満州を繋ごうとしている。それは時代と個、国と社会、それぞれを様々に組み合わせることによって浮かび上がってくる言葉にできない見えないでも感じることのできるもの、触れそうなほど確かな物の形を暴き出そうとしているのではないか、と思えてきました。
もうそうなると物語はどうでもよくないけどどうでもいい(笑)一つ一つのディテールをよく観聞きしながら、その全体と総括を感じ取ればいいので、思いっきり俯瞰しながらぎりぎりまで物語にはまってゆくというアプローチで観てみた。そして最後、芸術監督の言う寺山修二の『マッチするー』の段落を聞いてがつんときた。このセリフをいうために今回の舞台があってここがゼロ地点だと感じた瞬間、どばぁと涙が溢れてきた。声だして泣きたいくらい感情の波がきて、でもすぐ「私には愛人はいません」とひっくりかえすので、泣けない。泣く時間も与えてくれないのかぁと思いながら舞台は終わりました。
セーラー服の女子校生が出てくる。娘が高校生で同じようなセーラー服を着てるので、後半の満州から逃げる女子校生の姿が重なった。あの頃の女子校生と現代の女子校生の命の重さや形に変わりはない。時代が違うだけだと肌で感じた。それからガンバレと歌ったあと、それは聞き飽きたと続く椎名林檎の歌がよかった。
前回おなじステージでやった「南へ」のつながりもみえて、脳がぐるんぐるん動いた舞台でした。今回の「エッグ」はかなり面白かった。印象に残る作品になりました。この作品に現されている絶望の姿(形)を感じ飲み込む(いういいかたはしないかな)ができた。