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死なないための埋葬

美術館・博物館
06 /11 2010
この時期に大阪に来たならば、どうしても行きたい場所がもう一つありました。
それは国立国際美術館で行われている。「死なないための埋葬  荒川修作初期作品展」でした。

国立国際美術館は中ノ島の一角、科学館の隣にあります。
(設計:シーサー・ペリアンドアソシエース ジャパン(株))
美術館は地下にあって、トラスの向こうに見えるのは科学館です。

オブジェのような屋根を潜って地下の展示室にはいります。


二週間ほど前の朝、朝刊の三面記事を開いて夫が「うっ」と唸りました。記事を読んで荒川氏が亡くなったことを知りました。
初めて氏を知ったのは、設計士として働いていた頃、職場の人たちと一緒に国技館で行われたシンポジウムでした。伊東豊雄や安藤忠雄、鈴木エドワードなど建築家があつまり、ディスカッションするという会で、その中でひときわ個性的な話し方をしていた印象があります。なにより、夫を含めた男の人たちが荒川氏の話しを夢中になってきいていました。話が終わっても氏の周りに沢山の公聴人があつまって、延々話をしていた思い出があります。それから、私よりも夫が氏の行動や作品を調べたり、知りたがっていました。天命反転地や初台で行われた作品展など観にいったりしていました。今回も夫はショックだったようすで、暫く新聞をぼうぜんとみつめていました。
私はそんなにすごく好きだったわけではないのですが、この人の作る建築は他にはなく、天命反転地などはまっすぐな床がどこにもなく、面白かった思い出があります。

そんな荒川氏の初期の作品、しかも棺桶と聞いて是非見てみたくなりました。最初にポスター「抗生物質と子音に挟まれたアインシュタイン」を見て、もがれた羽のような印象を受けました。どんな造詣物なのか見てみようと思いました。

当時暗い部屋で一つ一つ棺桶を開けるようにしてみる目的とされた作品なので、展示されている作品一つ一つにできるだけ個人的に関わるようにして見てみました。そこには若い頃の荒川氏の苦悩が、言葉にならない苦しみがあるように感じられました。セメントや布、ストッキングのような薄い布地をかぶせられた綿やセメント、もがいた後のようにひっかかれたり、つついたような穴があいていたり、感情の赴くままに表現された形に見えました。 

ずっとテーマにしていた、死なない為のーーの意味が少し分かった気がしました。生の側からではなくずっと荒川氏は死の側から、または死の深淵を覗きこんでいたからこの言葉を言っていたのだなと感じました。

大きな棺に入った「名前のない耐えているものNo2」を観ていたら夫を思い出した。
……ひとりでみてごめんなさい(笑)。

常設展にも作品があり、「言葉のような線」は平面図に観え親しみがわきました。「肖像No1」がよかった。
作者名の隣に生きた年号が張り替えられていて1936~2010となっていたのが寂しかった。亡くなってしまったんだなぁと実感した瞬間です。



1998年5月に行った時の写真。


左の写真、道の真ん中に”死なないための道”って書かれてある。
また行きたくなってきました。

氏を通して長い間、夫婦で色々な会話をしました。これからも建築や思想について話しあっていきたい。その強烈な個性と熱心な願いは亡くなることなく生き続けるのだと感じました。

改めてご冥福をお祈りいたします。
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月夜野

東京下町在住・本・建築・ハチロク好き

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