医す者として

映画
01 /27 2012
去年12月に上野の東京藝術大学大学美術館に行った時にロビーで貰ったチラシの映画が見たくて先日行ってきました。

医す者として」長野県佐久市にある佐久病院のドキュメンタリー。

長野県佐久市(旧南佐久郡)佐久総合病院。終戦5か月前、信州千曲川沿いにある小さな病院に青年医師・若月俊一(1910~2006)が赴任したことから、この物語は始まる。周辺の農山村への「出張診療」、「全村健康管理」(今でいう健康診断を軸にした健康予防管理活動)を全国に先駆けて行ってきた。また、健康に対する啓蒙活動の一環として取り組んだ「演劇」や「病院まつり」は地域づくりにつながっていく。

農村に出張して健康管理の大切さを解きながら、過酷な労働に耐えている農民の身体を診て回った記録。やがて農民と共に病院は様々な社会問題と密接につながりながら農民の医療を進化させてゆく映画でした。

多くの映像と院長である若月先生の講演、当時を生きた人たちの言葉を繋ぎながら当時がどんな様子であったかを徐々に知り感じてゆく映画。最後にこの若月先生という人がきになって本を手にとってみました。

若月俊一の遺言―農村医療の原点
若月俊一の遺言―農村医療の原点若月 俊一

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最初に書かれている先生の生い立ちを知り、何故農村に住む人たちにあれほど愛情を注いだのか、またつきることのない前進の精神の理由の一部が分かりました。様々な本を読み哲学を知り、人を愛しむ心を持った人なのだなと思いました。

当時のフィルムもさることながら登場する人たちの言葉や表情がよかった。90歳をすぎた助産婦さんのかくしゃくとした姿、役場の人たちの表情が健康や自分の仕事に責任を持ち誇りをもって挑んでいたことが伝わってくる。助産婦さんの勉強した動機が素晴しいと思った。昔牛の隣で出産した女性は次々と産褥熱で死んでいったそうです。それを見て彼女は助産婦になることを決心し、一生懸命勉強したそうです。出産し死んでゆく女性達を見て、このままじゃいけないって思って勉強するその感受性に意味があると、その感じ方に助産婦さんの個性が宿っていると感じました。助産婦さんはいい経験をさせてもらった、自分の事を幸せだと言っていました。過酷な生活の中で必死に生きてきた人にしか言えない素晴しい言葉だと思いました。

記録フィルムの間に若月院長の言葉が挟み込まれています。手術して失敗してもその通り伝える、何も隠さない隠したり嘘をついたりして家族の信頼を失うほうが怖い、私は患者さんとその家族と共にいたいと言った言葉に感動しました。
大学病院で長い間入院して死んだ心臓病の弟の事を思い出します。失敗を誤魔化され経過を隠されて疑心暗鬼のまま治療を受け続けてきて、身体も心も疲れました。
患者も先生も人であるところから始めたいと改めて思いました。

最後に医療も介護も福祉も地域事業もばらばらではなく一つとなって推し進めてゆくことの大切さを皆が唱えていました。豊かな想像力をもち感受性を使って二束のわらじで歩いてゆく、難しいけど上手にそれを行ってゆける社会になってほしいそう願ってやまない映画鑑賞でした。
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月夜野

東京下町在住・本・建築・ハチロク好き