都市の墓標

にっき
06 /15 2013
これは二度目の文学フリマに出したコピー本。当時仕事を始めたばかりで、しんどいことが多くいらいらしていたのを思い出します。朝のラッシュがどうにも嫌でストレスでそのことが書いてあります。今も苦手ですが、当時とは少し違った印象を持っています。何かの機会に書けたらいいなぁ。しみじみ書かないとだめな生き物だなっておもうこのごろ(汗)

攻撃的な文章なので不快になるかもしれません。それでもかまわないって方だけお読みください。

都市の墓標

 東京の殺人的な朝のラッシュが嫌いだ。
好きな人はいないとは思うが、高校生の娘がいうには、好んでラッシュの時間にセーラー服を触るためにわざわざ乗車してくる輩がいるらしい。友達の話では随分巧妙になってきているという。朝からうんざりに輪をかけるために乗り込む人がいるということが、私には驚きだ。
そもそも私はラッシュが大嫌いで会社を辞めた。自営の家に嫁ぎ、土地付き婆付き、小姑次男付きの男の伴侶となった唯一つの利点は、仕事の為に電車にのらなくていいということ、ただそれひとつだった。しかし、子供達が受験を向かえ塾代に困るようになって、私は朝の通勤ラッシュに再び乗り込まなければならなくなった。
覚悟はしていたのでそれほど驚くことはなかったのだが、改めてラッシュのしんどさに驚き、感動した。どうしてこれほどの人がこんなに我慢して乗っていられるのだろう。『仕方がない』ということは分かっている。でもこれはそれほど『仕方がない』ことなのだろうか。最初にこのラッシュに五年耐えている娘に驚いた。娘に聞くと、やはり「そんなの当たり前」「仕方がないこと」だという。
無言で人を押しやり、小突き、足を踏む。頭突きされたこともある。謝ってくる相手に笑顔で「いいんですよ」という時間も空気もない。それでも一人一人は人で、悪人ではない。殆どの人たちは普通の一般的な通う場所のある社会的肩書きや存在を認められている人たちなのである。
 通い始めて二週間たった朝、山手線が止まっていた。五反田で人身事故があったという。同方向を走る京浜東北線は尋常ではない人を乗せて走っていた。私も暫く様子をみてから京浜東北線に乗りなんとか定時にまにあった。
 車内には『また人身かよ』という重くだるい空気に満ちていた。週の初め、休みモードから仕事モードへの切り替えもできないまま苛立った気持を抑え、どの背中も耐えて無言で険のある空気を発していた。
 それが女子中学生の死に繋がっていたと知ったのは、家に帰ってからだった。こんなにたくさんの人が近くにいて、何故彼女はそこまで孤独だったのか。その問いは真っ直ぐに私に向かう。忙しいのだ、仕方がない、それで済ませるならば、この現代は粗悪な未来小説のようだ。
彼女は難関校で有名な私立校の普通の中学一年生だった。一日休み、父親に「行ってきます」といって家を出たという。その子の気持を感じることはもうできない。でもできないからって、人間ばかりが生息しているこの都市で自ら死を選ぶ十三歳の女の子の事情を無視し、大人達は電車に乗っていていいのだろうか。どこかで起きている不快な出来事として脳の隅にもおかなくていいのだろうか。これも『仕方がない』ことなんだろうか。


私は高校の頃に受けた物理の授業を思い出す。先生は突然黒板に上記のような図を書き始めた。気球、地面に人型を書き終えるとこういった。
「気球が飛んでいる。そしてここにYがいる」
 そう説明しながら、物理のK先生はYの名前を書き加えた。
 当時、田舎の空によく気球が飛んでいた。そしてYはリーゼントの授業に姿を現すのが珍しいやんちゃな学生だった。教室は一瞬にして静かになった。


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「この気球は浮かんでいるわけではない。ここらへん一帯にあるもの全てに負荷がかかっている。この家にも、電信柱にも、Yにも、僅かではあるが荷重がかかっている。したがってYはこの気球を支えているということになる」
 授業としてはまっとうな説明だったが、私達にとってそれはあまりに唐突だった。不良のYと田や民家と気球の繋がりは、希薄に感じられ、あっけにとられた。固唾を呑むというほどではなかったが、Yも困っていたと思う。唖然とした空気になった。このミスマッチをK先生は気にすることなく、僅かではあるが皆が支えていると繰り返し強調した。

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 この授業は不思議と心に残った。それから空にヘリコプターや気球が飛ぶのを見るたび、私たちが支えているのだと、歪曲な満足感が胸に広がるようになった。
 同じ線に乗り込み、同じ車輌に乗ったこともあるかもしれない人の繋がりが、鼠算式に膨れ上がってゆく。人身事故の命の重みを、この都市でおこるあらゆる事件を、私達は僅かではあるが支え背負って生きているのだろうか。雲母のように薄い罪悪感を、私達は都市で生きてゆくなかで共有することでしか、証とできないのだろうか。

八年前、六本木ヒルズで起きた回転ドアの圧死事件に遭遇したことがある。平日の午前中、人も少ないだろうと考え、春休み中の息子と一緒にでかけた。到着するとビルの前が異様に静かで、救急隊がものすごい勢いで駆け込んできた。TV局が近いので最初、私はドラマの撮影なのかと思った。誰も何も話さず、じっと大勢の人が入り口を眺めていて、何が起こっているのか分からなかった。そのうち、子供の名前を呼ぶお母さんの叫び声が聞こえ、やっと事態を察っして蒼くなった。当時のことを思い出すと今でも胸が強く痛む。
一ヶ月前、池袋で車椅子の車輪が線路に挟まって動けなくなり乗っていた人が命を落とした事故があった。先々週はエレベーターの事故。日々あまりに多くの人が亡くなっている。それら事故・事件はそれぞれ複雑な原因や要素を含んでいる。そして私達はもう何が原因かやどうしてそうなったのかを深く考えないほうが賢いことであるのを学んでいる。
悪いことばかりではない、毎日電車に乗る娘からはいい話も聞く、しかし悪い話のほうが多い。娘は大騒ぎしてる男に突然ホームから突き落とされそうになったことがあるという。東京では卓越した人との距離感を養わなくては生きてゆけない。
 それでも、と私は思う。できる限りのことはしたい。手をさしのべるのに躊躇う時間をなくしたい。進んでできることがあればしたい。それは何も私に限ったことじゃないはずだ。同じ事を思って考えている人はいる筈だ。郊外に住んでいて東京人ではない人もそのように考えている人は大勢いる筈だ。一人一人の持っている命の尊さに対する考えは腐敗していないと思う。思いたい。
 相手に対する思いやりや想像力が欠落しているとしても。また、私がそのようになっているとしても。
今の私には東京のビル郡が墓標に見えてしかたない。ホームから一歩足を踏み出した少女の血に換えてできた血も涙もない無機質な墓標に。


                                    終わり




 あとがき

 手にとってくださり、読んでくださり、ありがとうございます。今回前回にまして暗いです。まいったな。もう少し希望的な明るい文章にしたかったのに。派遣で9月末から働き始めまして、もうさっそくだめだめです。三ヶ月の契約内まで働けるかどうか…そんなだめだめなまま書いたからもうだめだめがだめだめになって…ってループです。
通勤ラッシュからしてもうだめになってる自分が情けない。もうちょっと強くなろうよ自分!という気持で書きました。小説書きたいのに、それ以前で停滞してる自分も情けない。
 しかし書くと気持があるべきところにひとつひとつ納まってゆくのか落ち着きます。書きながら考えるタイプなんだなと、改めて思います。書くのは(書けなくても)とまりません。ちょっとづつですが、書いてゆきたいと思います。書いてきてつくづく感じるけど、孤独が楽しく、寂しく(私の場合)自分を感じる手段の一つであることを実感しています。
 次回は来年になってしまうのだろうか…大阪はいまのところ考えてません。来年にまたお会いしましょう。来年自分はどうなっておるのか…考えるだけで恐ろしいな。
 ありがとうございました。
                                     










「都市の墓標」      
二千十二年十一月十八日
月夜野
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月夜野

東京下町在住・本・建築・ハチロク好き