ローマ環状線、めぐりゆく人生たち

映画
09 /13 2014
夫に「君の好きそうな映画やってるよ」って新聞の記事を薦められて、気になっていた映画を先週観て来ました。
ローマの環状線沿いにくらす人々のドキュメンタリー。最近ドキュメンタリー観てなかったので、そしてローマって国をよく知らないままぼんやり鑑賞したけど、よかったです。近頃こういった攻める映画見てなかったので激しく反省(攻める映画とは娯楽目的ではなく作品のなかに入って血肉となるような経験を自らに刻むように見なければならなない作品のことである)
シーンの端々に環状線が映っているほかは何の説明もなく映っている人はごく普通に生活してる。紹介がないので想像するしかないんだけど、例えば救急車に乗って仕事をする男の人は家族と離れてくらしているらしいこと、その家族を愛していることが説明なく観ることで伝わってくるつくり。小さな部屋に娘と老人がいるのだけど、その二人はいるべくしているのだけど、会話の様子からお互いを好きでいることが分かる。そういった、全く違う生活人種なのになぜか”分かる”ものが見えてきて面白かった。そこには想像する必要はなく、ただ感じれば分かるものがある。そしてその”分かる”を積み重ねてみるとそこに自分の感じたローマが浮かび上がってくる。
生活に疲れが隠せないお金持ち(だった)貴族はどこみても、どうやってもどこか虚構がみえていて、路上生活者は明日も見えない毎日だけど、諦めの先にあるからっとした空気をもっている。植物学者はその説明がなくても、植物の賢者であることが分かる。こう歳をとってみると、人間を決めるのは肩書きや持っている資格じゃないってことが分かる。持っているいないも大事だけど、一番大事なのはその人のその人である根幹をなす魂のようなものであるんだなと、私はこの映画を観て感じました。植物学者の椰子に対するコメントが象徴的ですが、言葉にするよりもっと植物学者の佇まいが全てを語っているように感じた映画でした。
この映画は他にも墓地の場面があったりした。うなぎのおじさんは、うなぎ漁はだめになってしまう!と怒ってる隣でおばさんが黙ってつくろいものしてるところがおかしかった。きっと撮影してるから無口だったんだろうなぁ。人見知りなかんじでした。途中後ろで網を治しているおじさんが道具落としたり、犬が「なにしてんの?」とことことやってきたりして、そんな風景が映ってるのも素敵でした。娘とメロン食べながら「国産はいい」とか言っているのを観ると、ほんとに人って変わらないんだなぁっておもった。国や国境があるだけで、たぶんそんなに違わない。でも違うからこそ同じ部分もあるのかも。ドキュメンタリーとはいえ編集されているのだけけれど、それでも今のローマの先は見えないまま、でも絶望はしていない生きている感じが伝わった。それが”分かる”ということは、多分日本も同じなのだろうな。
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月夜野

東京下町在住・本・建築・ハチロク好き