アイ・イン・ザ・スカイ

映画
01 /08 2017
アラン・リックマン、最後の出演作品となった映画を観にシャンテシネへ行ってきました。
この映画館は、ウィンターゲスト(97年)を上映した館で、来日したさいはここにもいらしたことがあって、ああ、そんな想いで見ました。

映画はとてもシビアでリアルでした。映像の作りが現実の世界と似ていて、錯覚してしまいそうになるほどで、同時に今も起きえる、今起きているかもしれないという感じが抑えられなくなる映画でした。戦争もの特有の緊張感がずっと続いていてずっとどきどきしてました。何か起きるんじゃないか、今にも発砲が始まるんじゃないかとずっと緊張してた。

コリン・ファースがプロデュースして、この俳優なんて出来が悪くなるわけがなく、どうして東京でここしか上映してないんだろうって思ってしまう。すごい映画です。そして今見ないと意味が無い映画、それにアランが出てるのが泣けてくる。

ラブアクの時みたいに、おもちゃ屋でクリスマスのおもちゃ選んでいるところから始まるアランの演技。世界をまたにかけた作戦に会議に挑むようにラフな顔で席に付いた途端軍人になる。静かだけど起こっていること、自分の立場、やらなければならないことを同時に瞬時に考え行動している(椅子に座っているけど、絶妙のタイミングで彼は意見や考えの変換を求めしている)役。最後のセリフは重く軍人も同じ人であることを示唆してる。なんともプロに徹したアランによる中尉の縁起に、この人がもういない、撮影のときは最後だと思っていたに違いない、などのメランコリックな考えを吹きとばす、高貴な硬派な硬質な演技でした。
ボブ★ロバーツなど社会派の映画に出ていた頃のアランを思い出しました。

で、この映画を観て何を考えたかというと、皆同じ人間で、家庭があって好きな人がいて、護るべき人がいて、死ぬまで幸せにくらしたいと望む人がいるだけなのに、何で現実はここまで極端な人や行動であふれているのだろうと、素朴に思った。
ミサイルボタンを押すときに躊躇うアメリカ人がいて、クリスマスプレゼントの用意にうんざりする軍人がいて、家の中では優しいお父さんがいて、それらは世界共通なのに、どうしてミサイルや爆弾が必要なのか、また発射するのにそこまでややこしくなったことは、逆に救いなのかとまで思ってしまった。それぞれの人間としての感受性が個性を作り上げ、人間はここまでややこしくなってしまったのかとも。少女は犠牲というにはあまりにも残酷で、人はそれほどまでに立場が違えば神になれるのかとも思った。そんなことなくて、でも傷つく少女をみて、誰もがその理不尽な痛みを経験しているとも思った。そんなえらそうなこといえないんだけど、弱者が弱者のままでいいのかってほんと思うなぁ。で、多分その反発がまた…。こじれきった世界を止める方法はもうひとつしかないのかなぁ。アランに大きな宿題を言い渡されたような気持ちになってきた。
改めてアラン・リックマンの冥福を祈ります。


あらすじ(反転で)
イギリス、ロンドン。軍の諜報機関の将校キャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、国防相のフランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)と協力して、アメリカ軍の最新鋭のドローン偵察機を使い、英米合同テロリスト捕獲作戦を指揮している。
上空6000メートルを飛んでいる空の目であるリーパー無人航空機が、ケニア・ナイロビの隠れ家に潜んでいるアル・シャバブの凶悪なテロリストたちをつきとめる。その映像が、イギリス、アメリカ、ケニアの司令官たちがいる会議室のスクリーンに映しだされるが、彼らが大規模な自爆テロを決行しようとしていることが発覚し、任務は殺害作戦へとエスカレートする。
アメリカ、ネバダ州。米軍基地では、新人のドローン・パイロットのスティーブ・ワッツ(アーロン・ポール)が、パウエル大佐からの指令を受け、強力なヘルファイアミサイルの発射準備に入る。だが、破壊準備に入ったその時、殺傷圏内にパン売りの幼い少女がいることがわかる。
予期せぬ民間人の巻き添え被害の可能性が生じたため、軍人や政治家たちの間で議論が勃発し、少女の命の行方がたらい回しにされる。キャサリンは、少女を犠牲にしてでもテロリスト殺害を優先しようとするが――


結末は、それほど驚かなかったなぁ。結果であって、申し訳ないけど、それまでが人が死ななすぎてた。物語の終わりとしてはあの形がよかったんだと思う。潜伏した人がいつ殺されるのか、捕まって酷いめにあうんじゃないかってずっとひやひやしてた。あんなところでゲームしてたらだめだよう。

(1/14 覚書)任務の間、ヘレン・ミレン扮する大佐を指令所の部下たちがマムって呼ぶのがいい。親しみと尊敬を感じる。
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月夜野

東京下町在住・本・建築・ハチロク好き